日々法医学で働く法医学者にって「最も辛いこと・嫌なこと」とは何でしょうか。
解剖が大変なこと?
臭いがキツいこと?
日陰の存在であること?
法医学者によって「辛い」と思うことは様々ですが、私の場合は上記のどれとも違います。
私にとって最もつらいのは、、、【死因に"不詳"を付けること】です。
ドラマでもありましたが、やっぱり死因に"不詳"を書く時はとても悔しい気持ちになります。
今回は死因"不詳"に対する法医学者の想いを書いていきます。
解剖は現在の死因究明において"最も有効な方法"とされています。
しかし、その解剖を以てしても死因が分からないことは当然あります。
その際には死因欄に"不詳"と記載します。
死因の種類も『⑫不詳の死』です。
つまりは「解剖したけど死因は分かりませんでした」ということですね。
不詳となるケースにもいろんな場合があります。
最も多いのは「ご遺体が高度に腐敗しているケース」です。
もちろん腐敗が進行していても死因がある程度推定できることもあるのですが、それでも高度に腐敗し臓器等が残っていない場合はどうしようもありません。
このケースでは、私自身もある意味「仕方ない」と自分を納得させることはできます。
私が本当に悔しいと思うのが『ご遺体は傷んでいないのに、どうしても死因が特定できないケース』です。
ご遺体の腐敗は殆ど認めないのに、解剖をさせていただいても、その後に各種検査をしてもどうしても死因と思われる所見が見当たらない...。
そして、そういう"難しい"ご遺体は得てして若かったりするんです。
数は決して多くはないにしても、こういう症例に出会うと本当に悔しいんですよね。
死因の中でも、不整脈やある種の代謝性疾患による死亡というのは、解剖をしても特定し切れない場合も多いです。
こういったご遺体も当然一定数やってきますので、そういう意味ではこちらのケースでも「仕方ない」と言えるのかも知れませんが、、、やっぱり悔しいですね。
「何か重要な所見を見逃しているのではないか?」
「自分が知識不足だから死因が分からないだけじゃないか?」
「もっと詳細な検査が出来たら特定できるのではないか?」
こういったことが頭を巡りますし、もっと感情的な思いとして、
「結局不詳なんだったら、わざわざご遺体を侵襲を加えてまで解剖しなくて良かったんじゃないか?」
「死因は分かりませんと遺族に言ったら悲しむのではないか?」
なんて気持ちにもなるんですよね。
自分自身に対しては『それでも解剖したからこそ「分からない」ということが分かったんだ』というもっともらしいことを自分に言い聞かせられますが、遺族にとってはそうとは限りません。
「結局は"分からなかった"ということでしょ」という話ですもんね。
こうったケースでは、解剖後に行う結果説明ではいつも私は本当に申し訳なさでいっぱいです。
それでも事実は事実として向かい合わなければなりませんので、当然のことですが、分からなかったこともきちんとお伝えしています。
私のような性格の法医学者は危険だと思います。
本来ならきちんと「分からない」と判断すべき状況なのに、何とか答えを出そうとするあまりに真実ではない死因を判断しかねません。
これは本当に危険です。
間違った死因はその後の間違った行動に繋がってしまう可能性がありますから。
"分からないこと"を「分からない」と判断できる勇気こそが法医学者の持つべき姿勢だと思います。
だからと言って、「"不詳"でしょ」と早々に諦めてしまうのもどこか違う気もする。
そんな複雑な感情を抱えながら、私は日々法医実務に向き合っています。