生産・死産の鑑別 [肺浮揚試験・胃腸浮揚試験]

ヒトはいつから"人"として扱われるのでしょうか。

卵子と精子が出会って受精したらなのか?
受精卵がお母さんのお腹の中に着床したらなのか?
胎児の心臓が動き出したらなのか?
お母さんが胎動を感じたらなのか?
...etc

いろんな考え方ができると思いますが、法律上はある程度の方向性が言われています。


ヒトが"人"としての諸権利を得るタイミングは、法学上は下記の2通りです。

胎児の身体が全て母胎の外に出た時:【全部露出説】
胎児の身体が一部でも母胎の外に出た時:【一部露出説】


そして、これら2通りの説は、

民法(相続など):"全部露出説"を採用
刑法(殺人など):"一部露出説"を採用

を原則として運用されています。



これを踏まえた上で、法医学で扱う新生児死亡を考えてみます。

そうなると『そのご遺体が生産児だったのか?死産児だったのか?』というのが重要になってきます。


具体的に例えば"嬰児殺"で考えてみると、

生産児だった(≒出産後に死亡した)→殺人の可能性もある
死産児だった(≒出産前に死亡していた)→殺人罪には問われない

ということになります。

少なくとも刑法上では、この『生産児・死産児の違い』は極めて大きな意義があるわけですね。

今回はこのような生産・死産が問題となる際に、解剖後に行われる"胃腸浮揚試験・肺浮揚試験"について書いていこうと思います。



"肺浮揚試験・胃腸浮揚試験" これはどちらも『嬰児が体外に露出した後に呼吸をしたのかどうか?』をみています。


【肺浮揚試験】:解剖で剖出した肺の一部ないし全部を水に浮かべ、浮かぶか(→陽性)?沈むか(→陰性)?を確認する試験。生前に呼吸していれば含んだ空気の浮力によって陽性となり得る。

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【胃腸浮揚試験】:"肺浮揚試験"と同様に、解剖で剖出した胃から腸を紐で縛って水に浮かべ、それが浮かぶか?沈むか?を確認する試験。呼吸運動・(空気の)嚥下運動により、生前呼吸していれば陽性となり得る。


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詳しくみていきましょう。



前述のように、この両試験はメインとして「生前の呼吸運動の有無」を確認しています。

もっと正確に言うと『産まれた後に空気を吸い込んでいるか?』をみています。

空気を含んでいる → 生前に呼吸運動をしていた → 出産時は生存していた → 産まれた後に亡くなった

という論理ですね。



【肺浮揚試験】では純粋に"呼吸運動の有無"をみています。


まず肺全体を水中に浮かべて結果を判定。

その後両肺を切離し、再度左右の肺をそれぞれ水中に浮かべて結果を判定。

最後に小片にし、再々度水中に浮かべて結果を判定。

この順に浮揚試験を行っていきます。


出生後、最初の呼吸できちんと空気が吸い込むことができると、羊水で満たされていた肺の中に空気が入っていきます。

これによって、以後の肺浮揚試験では陽性(→正産児)となります。

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ただし生産児であっても、最初の呼吸時に羊水や胎便を誤って気管に吸い込んでしまった場合は、出産時は生きていたとしても肺浮揚試験は陰性となります。

呼吸運動が極めて弱い"仮死状態"で産まれてきても同様に陰性結果です。

また例えばトイレでの墜落産(≒いきなり出産してしまうこと)では、第一呼吸をする間もなく溺水してしまい陰性となることがあります。

逆に死産児であっても、人工呼吸が施されたり、ご遺体が腐敗し肺でガスが産生されている場合はその浮力で肺浮揚試験は陽性となり得ます。

その他、肺が凍結してしまっている場合は、死産児でも肺は浮いてしまう(偽陽性)ので保存状態にも注意が必要です。



【胃腸浮揚試験】では、胃から大腸(盲腸)まで一塊に剖出した後に空気が移動しないよう部位毎に紐で括ります。

・噴門
・幽門
・十二指腸
・小腸
・大腸
・直腸

具体的にはこの6カ所で縛り、水に浮かべます。

そして、単純な「浮くか?沈むか?」に加え、浮かぶ場合は『どこまで浮くのか?(=呼吸した空気がどこまで移動しているか?)』も判断していきます。

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つまりこの"胃腸浮揚試験"では、生前の呼吸運動に加え、嚥下および腸蠕動運動から「第一呼吸からの生存時間」が推定できるのです。


あくまで目安にはなりますが、教科書的に生存時間は、

胃まで浮く → (第一呼吸から) 30分以内
十二指腸まで浮かぶ → 30〜60分以内
小腸まで浮く → 6〜12時間以内
盲腸まで浮く(=胃腸の全体が浮く) → 12〜24時間以上

と言われます。

もちろんこの"胃腸浮揚試験"においても腐敗ガスの影響など、偽陽性・偽陰性には十分注意しなければなりません。



ということで、これら2つの試験では含有した空気を水を用いて物理的・肉眼的に確認しているわけですね。

割と原始的で理解しやすいかも知れませんね。

この他にも、呼吸による"肺組織の開存"を顕微鏡で確認したりもします。


ただ教科書通りにうまくいかないこともしばしばあります。

結果が中途半端なこともあるので、必ずしも白黒はっきり判断できるとは限らないんですよね。

それでも「生産児か?死産児か?」を推定し得る貴重な検査であることは言うまでもありません。


冒頭にも書いたように、生産・死産の鑑定は極めて重要性が高いテーマです。

この判断の如何によっては保護者責任が問われることもあるわけですから。

単純な検査に思われるかも知れませんが、法医学では重要な検査なのです。