警察の情報をどこまで信用するか?

我々法医学者にとって、警察から提供される情報はとても重要です。

それをなくして正確な死因究明は不可能と言って良いでしょう。

なぜなら、現行の法医学制度では、我々が実際に現場で情報を収集するわけではないからです。


そうした中、

『服用していた内服薬から警察が誤って推測した病名を医師が死体検案書に記載していた』

というのがニュースになりました。


この問題点について今回はみていきたいと思います。



結論から言うと、

『医学に関することを医療素人である警察に任せて鵜呑みにした点』

これが問題だったと思います。

それに加え、この事例特有のものとして「死因が"凍死"という状況下で、誤った"精神疾患"の記載を行った」という点がさらに問題を大きくしました。

これらを含めて、我々医師は『医学専門家』なのですから、そこを非医療従事者に任せきってはいけなかったのではないか?と私は思っています。


※ちなみに"死因の修正行為"自体は不正では全くありません。後日の検査結果などでさらに正確な死因が後になって判明することもあり、それを受けて当初の死因を書き直すことは普通にあります。より正確な死因統計のため、厚生労働省にも正式に認められている適切な手段です。(もちろん可能なら修正は避けるべきだとは思いますし、嘘の死因を書いて後日書き換えるなんて以ての外というのは言うまでもありません。)



冒頭にも書いたように、我々法医学者はドラマのように現場に実際に赴き、死亡時の状況等を確認しに行くことはできません。

これに関して現状は"警察の領域"となっています。

そして、そこで警察が得た情報の一部を我々法医学者にも提供してくれています。


例えば、【SIDS(乳幼児突然死症候群)】をみてみましょう。(参考記事:「SIDS」)

SIDSの診断の基準としては、

・健康状態および既往歴からその死亡が予測できない
・"死亡状況調査"および解剖検査によってもその原因が同定されない
・原則として1歳未満である

この3つは必須とされます。


『診断には解剖が必須』ということで、解剖を行い得る"法医学者"か"病理学者"しか原則診断できません。

それに加え、"死亡状況調査"も必須になってきます。

これは「どういう状況でなくなったか?」を調べる必要があるということです。


それではそれをどうやって調べるのかというと...『同居する遺族』か『現場を調べた警察』しかありませんよね。

前者であれば、解剖医師自らが聴取することも可能そうです。

ところが、実際はSIDSが疑われるケースでは同時に"不慮の窒息事故"も疑われます。

従って、当事者である遺族だけではなく、必ず第三者である警察の介入・調査は必要だと私は思います。

そうなってくると、SIDSの診断には警察の介入、そして警察が調査した情報は不可欠なんです。(なので現実的にSIDSを診断し得るのは法医学者のみだと思います)


これからも『死因究明には警察(の情報)はなくてはならない』ことが分かると思います。



それでは、冒頭のニュースも同じようなことが言えるケースだったのでしょうか。

答えは「否」です。


真偽はともかく、こちらのニュースでは「警察が処方薬から誤って推測した病名を医師が鵜呑みした」となっています。

ここのは2点の問題点があって、

①処方薬から警察が病名を推測した
②警察が推測した病名を医師が鵜呑みにした

これらがどちらも良くなかったのではないか、と個人的には感じました。



まず①つ目の『処方薬から警察が病名を推測した』です。


死亡現場の警察官(特に検視官)は、実際かなり手慣れています。

法医学に見ても、きちんと押さえるべきポイントは押さえて医学的な情報を調べてきてくれます。

ひょっとすると、医学の勉強をまだ始めたばかりの医学生さんよりも一部の医学知識は詳しいか?と思うくらいです。

しかし、それはあくまで現場で見て得た断片的な知識に過ぎず、体系的な知識を必要とする真の?医学知識とは全くの別物です。


犯罪捜査の上で必要となる知識としては、必要なところをかいつまんだ断片的なものでも十分なのかも知れません。(実際に検視官にも医師免許は必要とされないわけですし)

なので、「医師と比べて警察官の医学知識が浅いから悪い」と言うのは全くのお門違いです。


とは言え、法医学者(=死因を判断する者)としては、当然それでは全く足りません。

きちんと6年間勉強し、場合によっては臨床医で経験を積み、法医学者として実際に働く中で培われる"医学知識"がないと駄目なんです。

「病気を判断(診断)する」というのはやはり医学であり、法医学医はやっぱり"医師"なんですよね。



そして②つ目の『警察が推測した病名を医師が鵜呑みにした』ですね。


「鵜呑みにした」と書いてしまうとアウトな印象を受けてしまいますが、「警察から提供された情報を信用する」というのは前述のように悪いことではありませんし、私自身も警察(および提供される情報)を心から信用・信頼しています。

特に「現場の状況に関する綿密な調査」なんかは素人ながら本当に舌を巻いてしまうほどで、警察の方々はとても細かく丁寧に調べておられますよ。


ただ医学に関しては我々法医学者は専門家なわけですから、やっぱりそこに関しては常に慎重に(場合によっては疑いの目をもって)考えるべきだった気がします。

もっと言うと、近年は「家族の持病を知らない」という人も増えてきていますから、可能な限り「かかりつけ医・処方医に確認すべきだった」と思いますね。



以上、2点から、やはりこの問題のマズさが垣間見えます。


また更にこのニュースをみると...この事例特有の問題点があります。

それは「安易な精神疾患の記載」です。

これは『きちんと精神疾患が診断されているのに、それを記載してはいけない』と言っているのではありません。

『自ら自信(と責任)を持って記載もできないのに、安易に書くべきではない』ということです。


"精神疾患の記載"というのは、思っている以上に本人の尊厳や遺族感情、社会的影響は大きいです。

もちろんそれが真実なら書くことに問題はないのかも知れませんが、少なくとも曖昧な状況で安易に記載することは控えるべきだと私は思っています。

特に精神疾患は解剖をしても直接的には分かるものではありませんし、私自身も記載する際はかなり注意しています。


また今回のように誤った精神疾患の記載は、誤った死亡のストーリーにも繋がりやすいです。

『精神疾患があったから(不可解な点があっても)こうなったんだ』というような、歪曲されたストーリーになってしまう危険性を含んでいます。


今回の事例に関しては、「死因が凍死」という一見不可解な状況下において、Ⅰ欄かⅡ欄かはわかりませんがそこに"精神疾患"を書いてしまうということは、

場合によっては【精神疾患があったが故に凍死が起きた(=精神疾患のせいで最終的に凍死した)】というストーリーに読み取れてしまいかねません。

もしこのニュースが本当に報道されているように事件なのであれば、そんな誤ったストーリーによってこの"事件"が"事故"として闇に葬られてしまっていたかも知れないわけです。

そういった可能性も十分に考慮し確認した上で"精神疾患"を記載すべきなんです。



今回のこの一件は、検案医を含めた法医学に携わる医師にとって、かなり考えさせられたニュースだったと思います。


かつて法医学に入りたての頃、指導医の先生に「法医学は亡くなった人が相手だから(臨床に比べると)幾分か気は楽なのかも知れませんよ。」と言われました。

しかし、私はそうは思いませんでした。

臨床医の頃は、ある意味で「患者さんが治ればAll OK」みたいな部分はあったと思います。

でも法律に隣接した法医学においては曖昧が許されないことも多いです。

自分の知識や経験から、自己責任の名の下で判断をしていく...。

私にとっては「法医学は気が楽な場所」ではありませんでした。


そんなことを思い出しながら、今回改めて『死因をつけることの重大性』を再認識し、私は身を引き締めました。