腐敗と自家融解、腐敗臭

亡くなってから時間が経つと身体は朽ちていきます。

皆さんにも何となくイメージはわくと思いますが、実は『身体が朽ちる』という現象には2パターンあるのはご存知でしょうか。

それが"腐敗"と"自家融解"です。

今回はこの両者が区別できるようになること、そしていわゆる"腐敗臭"についての理解が深まることを目的としています。



腐敗:【細菌による分解】

自家融解:【酵素による分解】


違いはこれです。

両者を詳しくみていきます。



"腐敗"とは『細菌によるご遺体の分解』を言います。

後述の自家融解と対比させ"他家融解"と呼ばれることもまれにあります。


我々の周りには多くの細菌が存在しています。

病気を起こすものもあれば、腸内環境をよくしてくれる細菌もいます。

そういった細菌の一部が死後の身体を分解していきます。

『細菌による分解』ですので、虫や動物によるご遺体の損壊とは違いますのでご注意ください。


我々の身体には常在菌という形で、体の表面や口腔内、胃・腸などに細菌が住み着いています。

生きている間はそれら細菌が悪さしないように防ぐ機構が働き抑えられています。

しかし、死後はその防御機構が破綻し、抑えられていた細菌達のリミッターが外れ、身体を分解していくというわけです。


そして、この分解過程で細菌はガスを産生します。

これが特有の臭いを持つ"腐敗ガス"で、この臭いが"腐敗臭"と呼ばれます。

よくニュースで「隣の部屋から臭いがするので...」と聞く、あれです。


このガスの臭いは1種類から成っているわけではなく、いろんな細菌が出したものが合わさり複数の成分から出来ています。

硫化水素、二酸化炭素、アンモニア、窒素、メタン、インドール、スカトール、メルカプタン、フェノール等と言われています。

硫化水素やアンモニアと言われると、学生の頃の実験などで経験されたことのある方は何となく『臭う』というのがイメージできるかと思います。

しかし、実際はその臭いがそのままではなく、やはり他も混ざった"独特な臭い"になります。

中でも硫化水素とインドールが主にこの"独特な臭い"の元と言われています。

我々も進行したご遺体の解剖を終えた際に、しばしば服や髪にこの臭いがついていることに気がつきます。

解剖を見学している警察官達の服にも付きます。

なので、我々はディスポーザブルのガウンの下に、普段着ではなく、臭いが付いてもよい服(スクラブ等)に着替えていますね。


その腐敗ガスが溜まってくるとご遺体のお腹等が膨らんできます。

妊婦さんにこれが起きて、棺の中で死胎児が出てくることを分娩になぞらえて"棺内分娩"と呼んだりしますが、私自身葬儀屋さんからこの経験を実際に聞いたことはありません。


また腐敗してくるとご遺体の褐色の縞模様が出てきます。

これを"腐敗網"といいます。

これは血中のヘモグロビンが硫化水素によって硫化ヘモグロビンや硫化メトヘモグロビンとなり、これが血管を通して見えるからです。

この硫化ヘモグロビンが時間とともに全身に広がり、次第に全身が緑色がかってきます。

腐敗が進むにつれ細菌が液体を産生し、それが水ぶくれのようになった"腐敗水疱"というのも身体の表面に認められます。


ではこういった腐敗を遅らせるにはどうしたらよいでしょうか。

それは単純で、細菌の活動を抑えればよいわけです。


最も単純なのがご遺体を冷やすことです。

細菌のいる環境の温度を下げること活動が抑えられ、腐敗の進行は遅れます。

身内のお葬式までの間、ドライアイスを使ってご遺体を冷やしたという経験をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。


その他の方法として、よく刑事・探偵ドラマである、ご遺体を地中や水中に入れてしまうという手段です。

これがかの有名な『Casper(キャスパー)の法則』です。(参考記事:「キャスパーの法則」)

地上の腐敗速度を1とした時に、水中では1/2、地中では1/8になる』というものです。

100年以上も前にドイツの法医学者であるキャスパーさんが発見し、それが現代でも未だ言われ続けています。

これが起きる主な原因は『水中や土中は酸素が少ないから』だと言われています。

しかし、腐敗にはその他に湿度やご遺体自体の状況(体型はどうだ?服を着ているか?)なども影響しますので、ドラマみたいにうまくいかないのが現実です。



さて続いて、そんな"腐敗"と比較される"自家融解"をみていきます。


"自家融解"は『体内の酵素によるご遺体の分解』を指します。

つまりさきほどの"腐敗"とは違い『無菌的分解』となります。

酵素は全臓器に存在しますので身体のあらゆる臓器で起こりますが、臨床医学では胃潰瘍などの"自己消化"という表現で知られています。


こちらも生きている間は体内の酵素が自らの身体を分解(消化)してしまわないように防御機構が働いていますが、死後はそれがなくなり、分解されていきます。

これは特に酵素の多い膵臓でよくみられ、死後の赤血球の溶血や肝臓の胆汁沈着という形で認めることもあります。

また解剖時には、自家融解によって胃に穴があき、これが病的な胃潰瘍の穿孔かどうか?これが死因なのか?という判断を求められることもありますね。

その他の特殊型として、妊婦の子宮にも酵素は存在しますので、お亡くなりになった妊婦さんの胎児が母胎内に留まっていると、この自家融解を受けて、胎児の身体が軟化した"浸軟児"という言葉も教科書的にはみられます。



混同しがちな2つの言葉でしたが、理解できたでしょうか。

一般的に有名なのは特に"腐敗"だと思いますが、実は法医学者は両者をきちんと使い分けています。

今回を通じて、皆さんにもそれを垣間見てもらえたら幸いです。