硫化水素中毒

ガス中毒で"一酸化炭素"の次にイメージされるであろう気体が"硫化水素"です。

"硫化水素中毒"は『自然災害・労働災害・人災』と多方面で認められる中毒です。

そして、"硫化水素中毒死"すると当然外因死となるため、我々法医学者の元にやってきます。

数でこそCO中毒が圧倒的ではありますが、それでも法医学本のガス中毒の目次には"硫化水素中毒"必ず載っています。

今回はそんな"硫化水素中毒"についてみていこうとおもいます。



硫化水素[hydrogen sulfide, H2S]:水素原子2個と硫黄原子1個がくっついた常温常圧で気体の物質。空気よりやや重く、無色・水溶性で"腐卵臭"が特徴的である。法医学では『死斑が緑色(帯緑色)である』ことが有名である。

硫化水素中毒死:硫化水素は気管経由で吸収され、青酸のようにミトコンドリア内のチトクロームオキシダーゼが阻害されることで"内窒息"(=細胞内呼吸障害)を起こして死亡する。その他、中枢神経系(特に呼吸中枢)にも直接作用し呼吸停止を引き起こす。

"ノックダウン":高濃度の硫化水素を吸入した場合、ほんの数回の呼吸で意識を消失し死に至る。


詳しくみていきましょう。



法医学的には『死斑の色調が緑色調を帯びる』というのが特徴的です。

死後変化によっても発生するため、いわゆる"腐敗色"とも言えます。

遷延して死亡した場合は、脳の基底核も緑色調を呈すと言われています。

これらは、血中のヘモグロビンが硫化水素と反応することで出来た"硫化ヘモグロビン"の色を反映しています。


このように書くと、「あぁ、一酸化炭素中毒の鮮紅色と同じような感じなのね」と勘違いする方もいらっしゃるでしょうが、CO中毒の鮮紅色とは少し違います。

一酸化炭素はヘモグロビンとの結合力がかなり強く、なおかつ硫化水素のような"ノックダウン"は起きづらい(→急死しないことが多い)ため、鮮紅色のCOヘモグロビンが多量に出来て、それが死斑に反映され肉眼的にも強く見られます。

一方、硫化水素は猛毒であり"ノックダウン"で死亡することも多く、その場合は緑色の死斑は強く出ません。

むしろ、死後に長時間硫化水素環境に置かれたことで緑色になっていると思われるケースの方が個人的に多い印象があります。

従って、高濃度の硫化水素を吸入したことで急死し、まもなく発見された場合は緑色死斑は殆どないことも少なくないのです。(というか、むしろそのような硫化水素中毒死の方が多い?)



さて、冒頭にも書いたように、"硫化水素中毒"が起きる状況はある程度限られています。

①労働災害:工場や鉱山、下水処理作業中などに起こるもの。
②自然災害:温泉や火山の近くで起こるもの
③人災:自殺目的で起こすもの。

これら3つに分けてさらに追加で書いていきたいと思います。



①"労働災害"の硫化水素中毒

これは残念ながら現在でもしばしば起こる硫化水素中毒の類型です。

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工場や鉱山といった閉鎖空間の他、有機物の嫌気性分解が起こって硫化水素の発生しやすい下水処理作業などで起きてしまいます。


このため厚生労働省も定期的に統計を出しています。


硫化水素中毒の労働災害発生状況(1991年~2020年)
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H2S2.png

業種別発生状況(2001年~2020年)
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やはり製造業や清掃業での事故件数が多くなっています。

このような環境で働いている方々には是非換気を徹底するように注意してほしいですね。



②"自然災害"の硫化水素中毒

"硫化水素中毒"は温泉や火山の近くで事故として起きてしまうことがあります。

よく温泉や火山の近くで「イオウの臭いがする」というやつです。

特に日本は世界的にみても温泉や火山が多いですから、その安全環境はガイドラインが定められるくらいきっちり管理されています。


soguide.jpg

上画像は「温泉利用施設における硫化水素中毒事故防止のためのガイドライン」から引用したものです。

温泉のお湯についても上の通り、

・通気口の数は2個以上設置すること
・湯面は洗い場よりも高くすること
・浴槽は湯で満たすこと

など、空気よりやや重い硫化水素が溜まってしまわない工夫が決められています。

それくらい注意しなければならないということですね。

前述の「イオウの臭いがする」という声に関しても、正直個「腐卵臭がした時点でそばから離れてほしい」と私はヒヤヒヤします...。



③"人災"の硫化水素中毒

これは殆ど"硫化水素自殺"のことを指します。


hydrogen_sulfide1.png

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これは人口動態統計から【死因:硫化水素中毒】を抽出したデータです。

従って、決して自殺だけを拾い上げた数字ではありませんが、それでも2008年を契機に棒グラフがグンと跳ね上がっています。

これは、2008年にネットを通じて急激にこの自殺方法がブームとなったためです。

その後、関係各所が対策を講じ、関連する製品の販売が中止されたり、そのミゼラブルな最期が世間にも知られるようになって、ひとまず流行は終焉を迎えたと言えます。



以上、今回は"硫化水素中毒"でした。


前述の"硫化水素中毒死亡者数"は、死因が"硫化水素中毒"であった総数です。

従って、それが「自殺だったのか?」「労災だったのか?」「不慮の事故だったのか?」は厳密にはわかりません。

きちんとした死因究明を経ないことで、硫化水素中毒が見逃されている(=過小評価されている)可能性は当然あり得ます。


普段から統計情報を取ることによって、いろいろな状況をいち早く察知できます。

法医学で働いていますと、③のような自殺方法の流行を経験したり、はたまた不幸な自然災害や悔しい労働災害を経験します。

こういった死因に関する正確な情報を統計に反映させることは社会的意義の極めて大きいことだと私自身は感じています。


『正確な死因統計は、きちんとした死因究明から始まる』です。




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