法医業務、特に"解剖"はかなり高侵襲的な行為と言えます。
だからこそ、その適応は必要最低限であるべきだと私自身は常に思っています。
ただ現実的には解剖の必要性は高く、現代の日本においては法医学は必要不可欠です。
今回はその法医学の役割や意義について考えていきたいと思います。
法医学会の掲げる法医学の目的は、
・個人の基本的人権の擁護
・社会の安全
・福祉の維持
これらに寄与することです。
...とは言ってもなかなか抽象的なので難しいですよね。
もう少し掘り下げてみていきましょう。
個人的にはやはり『誰のためか?』という観点から考えると良い気がしています。
例えば臨床医学で考えますと、専ら「患者さんのため」ですよね。("医学研究"も含めると意味では「社会のため」とも言えますが)
同じように考えると、
①故人/遺族のため
②社会のため
法医業務は大きく以上の2つに分けられると思うんですよね。
①故人/遺族のため
このための法医業務は
・遺族のための死因究明
・親子鑑定/兄弟鑑定
が挙げられます。
やはり法医学はその対象である"故人のため"というのが最優先にあるべきだと思います。
ただ実際亡くなった故人に対してできることは本当に数少ないです。
亡くなってしまうと何をしてもその人自身には返ってきませんから。
なのでむしろ「残された遺族のための"死因究明"」というのがここの意義・役割として大きいかも知れません。
故人が亡くなった状況を明らかにし伝えることは、残された遺族とってとても有意義であると日々感じます。
近い人の死は遺族にとってかなり大きなストレスとなります。
実際にお話させていただいた遺族の中には、
・もう少し早く気付いていれば助けられたのではないか?
・もっと普段から気にしていればこんなことにならなかったのではないか?
・自分のせいでこうなってしまったのではないか?
・何かできたことがあったのではないか?
と思い悩んでおられる方も少なくありません。
死因究明が行われないと、上記全ての答えが「分かりません」になってしまいます。
そうやって思い悩む遺族はマイナスの思考に陥ってしまっているので、このことが更なるストレスに繋がってしまうんです。
死因究明を行いその結果を遺族にきちんと伝えることで、法医学は遺族をこうした暗い闇の中から救うことが出来ます。
もちろん上記全ての答えが「No」ではないこともあります。
それでもその事実をを適切な言い方でお伝えすることで、我々は遺族がそのことを受け入れるお手伝いができます。
独りで思い悩んでしまうよりは、法医学者を介して受け入れる方が精神衛生上も良いのではないか?と私自身は信じてやっています。
死因究明に関連して、近年では『死因究明の中で疑われた遺伝病をどこまで精査し、どこまでご遺族に伝えるか?』というデリケートな問題も出てきています。
"遺伝子"やそれに関連した"遺伝病"という情報は重大な個人情報ですから、どこまでそのパンドラの箱を開けるか?という問題があるんです。
故人が遺伝病を持っていたとして、もしその方にお子さんがいたりしたら...伝え方についても深く考えなければなりません。
そもそもそういったことを知りたがらない遺族もいるかも知れません。
安直に、法医学者が気になったから勝手に検査・診断して、遺族にその事実をそのままありのままに伝えればいいというものでもない、というのは皆さんにもご理解できるかと思います。
またやらしい話ですが、DNA配列を確定したりするのには特殊な試薬や機器が必要となります。
法医学教室にそれらが準備されていればいいですが、なければ教室は多額のお金を支払う覚悟を持たなければなりません。
解剖で頂ける費用というのは決められていますので、赤字を覚悟してどこまでするのか...というのも現実問題となります。
今後法医学でも遺伝子検査もっと進んできたら、こういった問題はもっともっと大きくなってくると思いますね。
他に遺伝学に関連する業務として、故人/遺族ではないですが、"親子鑑定"や"兄弟鑑定"も「個人/家族」のために行われる法医業務として挙げられます。
いろいろな事情から「親子かどうか?」「兄弟かどうか?」という遺伝学的に証明を求められることがあり、それに法医学は応えるわけです。
最近は商業ベースでもあるようですね。
②社会のため
これはもしかすると、前述の"遺族のための死因究明"や"親子鑑定・兄弟鑑定"以外を除くほとんどの業務がここに当てはまるかも知れません。
・犯罪に関する死因究明
・交通事故に関する死因究明
・医療事故に関する死因究明
・公衆衛生に関する死因究明
一般の方が最もイメージしやすい法医業務は、多くが社会のために行われているといって過言ではないです。
これはあまり臨床医学にはない観点です。
犯罪に関する死因究明は、犯人逮捕という直接的な効果だけではなく、裁判において科学的公正な意見を述べることで、被疑者の権利を守るという役割もあります。
そして、それを通して、社会平和の一翼をになっているという論理ですかね。
交通事故に関する死因究明は、前述の犯罪に似た要素も多いですね。
路上のブレーキ痕や、乗り物自体に関する調査はもちろんその道の専門家がするわけなのですが、事故に至った経緯を調べる上で「持病の悪化で事故を起こしてしまったのか」などの観点から法医学による死因究明も重要と言えます。
最終的に再発防止に繋がれば社会に貢献もできることでしょう。
交通事故には相手がいる場合もありますので、事故被害の科学的証明という意味では、立場によって①の要素もあるかも知れません。
医療事故に関する死因究明も、本来は法医学における役割だと私は思っています。
近年は法医があまり関わらない"医療事故調査制度"というのもあるようなのですが、「第三者の客観的な目」という意味では、我々法医学者が積極的に入っていく方が良いのではないか?と思ったりします。
これに関しても立場によっては①の「故人/遺族のため」という要素を含んでいます。
公衆衛生に関する死因究明は、純粋な真の意味で"社会のため"と言えます。
監察医務院を始めとする監察医制度はまさにその役目のためにあるようなものですからね。(※参考記事:「監察医制度について」)
このように考えてみると、"故人のため"という法医業務は実際のところ何が挙げられるのでしょうか。
「犯罪が疑われるご遺体が死因究明によって冤罪だと判明した」となれば"故人のための法医実務"と言えるのでしょうが、実際にそういうことが多いのか?と言われると...。
そんなことにならないよう、きちんとした死因究明制度を万全に敷いていることこそが、『"故人のため"の法医学の存在意義"』なのかも知れませんね。