論文発表を好きになる

前回の"学会"に続き、今回は"論文"についてです。(参考記事:「学術集会」)

例のごとく、私は"論文発表"も大好きです。


その理由は、、、「世界に向けて自分の名が残るから」です。

「世界の困っている人のために!」みたいな尊敬されるようなものはなく、極めてエゴイスティックな理由です。笑

いやしかし、世の研究者の中にも似たようなことを思っている人が多くいるのではないか...と私は睨んでいたりします。



この"論文発表"は前回取り上げた"学会発表"と同列に議論されることも多いですが、両者は似て非なるもの・全くの別物です。


その違いは大きく3つあると個人的に思っています。

①論文の方が発表のハードルは高い
②論文の方が発表に触れる(かも知れない)人が多い
③論文は後世にも残る


これら違いにも注目しながら"論文発表"について書いていこうと思います。


ここで言う"論文"とは、学会等が運営する学術雑誌に掲載されたものを指しています。(商業誌の掲載とも厳密に区別します)

理系と文系でまた違いますが、ここでは主に理系(医系)論文を前提に書いていきますね。



①論文発表のハードルは高い

"論文発表"も"学会発表"も『自分の研究結果や自験例を対外へ報告・発表する』という点では同じ観点です。

しかし、そのハードル・重みは全く違います。

やはり"論文発表"の方が一段階レベルが上がる印象があります。


それは、論文においては掲載前に"査読(ピアレビュー)"という過程が入ってくるからです。

査読:同業者(法医学雑誌なら法医学者)による検証・評価のこと。


実際に論文に掲載される前に「匿名の同業者によって内容がチェックされる」わけですね。

この際、投稿者についても雑誌編集責任者以外には匿名で進められます。

そうして編集者・査読者というフィルターを通ることができた原稿のみが雑誌掲載に至るのです。


インパクトファクターが高い雑誌は、言ってしまえば、このフィルターの目が細かいわけですね。

そういった雑誌では、世界トップクラスの研究者がその研究結果や研究手法、解析方法まで厳しく評価されます。

そして、「このトップジャーナルに掲載するに値する」と判断されてやっと掲載許可がもらえるわけです。


ちなみに有名雑誌Natureの採択率(掲載率)は10%以下だそうです。

世界中の自信のある研究者たちがこぞって掲載依頼をしてこの数字なわけですから、、、これはどえらい数字ですよ。。

それでも、通常の学術雑誌でも採択率は40-50%ということですから、決して簡単ではありませんよね。。


一方で学会発表は、発表の申込者が多ければ学会運営による"選択"は行われ得ますが、論文発表における"査読"とは意味合いが全く違います。

学会発表における取捨選択では、"抄録"という「発表内容を簡潔にまとめた文章」だけが判断材料となります。

「発表タイトルと抄録」から学会発表の可否が検討されるわけですね。


学会発表の採用形式についても、

口頭発表:参加者の面前で発表する方法。
ポスター発表:ポスター型にまとめたものを掲示し発表する方法。

の2種類があったりしますが、詳しくは別記事に譲ります。

基本的に発表申込者が多くても、この2形式のどちらかでは採択されます。

つまり「発表の場がもらえない」なんてことは学会発表では殆どありません。


いうことで、『掲載・発表のステージ立つ』というハードルは"論文発表"の方が格段に高いということです。


②論文発表の方が発表を目にする人が多い(かも知れない)

その発表に触れる人の数も違ってきます。

"論文"は、近年は多くの学術雑誌がオンライン上で閲覧できるようになっています。

なので、いわば『世界中の人が見てくれる(可能性がある)』と言えます。

まだまだ有料の雑誌も多いですが、近年は"オープンアクセスジャーナル"といって無料でいつでも誰でも閲覧できる雑誌も増えてきています。

こういう雑誌が増えてくれば、専門家でない人が読む機会ももっと増えるでしょうね。


一方で、"学会発表"はその場・その会場・その発表のタイミングに居合わせなければ、その発表内容を知ることはできません。

大きな学会ではその学会発表を見てくれる人は多くなりますが、やはり論文の"世界相手"には敵いません。


もちろん、論文も世に出たからといって必ず全世界の人が読んでくれるとは限らないんですけどね...笑。

結局内容が大事です。


③論文は後世にも残っていく

これは論文の唯一にして最大の強みだと思っています。

そして私もこのメリットを期待して論文投稿を行います。笑


学会発表は原則その場で終わりです。

後日、その学会発表内容を簡潔にまとめた"会議録"というものを学会の持つ雑誌に掲載する場合もありますが、そこに発表の詳細までは載りません。


先ほど書いたように、論文はオンライン上に公開されます。

そして、その雑誌社が潰れない限り半永久的にこの世に残り続けます。(潰れても何らかの形で残る?)

なので、仮に自分があと何十年後に死んでしまったとしても、その論文は残り続けるんですねぇ。


現実的に言ってしまえば、「数十年経った医学情報に何の意味があるのか?」というのはあると思います。

まして、後世にも読んでもらえるような素晴らしい論文を、日本のしがない法医学者が出せるとも正直私自身も思ってはいません。

それでも、集大成・一区切りとして、自分が書いた論文が雑誌に掲載されるというのは意義深いです。

あとは結局ロマンですね。笑



以上、学会発表と対比しつつ、論文発表について書いてきました。

昨今は論文事情も少しずつ変わってきました。


『英語論文が原則』:世界の人に見てもらうには英語が原則になります。まだまだ日本人は日本語論文を好みますが、一流論文はほぼ100%英語論文です。

『掲載費用がかかる学術雑誌が出てきた』:これまでは基本的に投稿から掲載まで、論文投稿者に費用はかかりませんでした。(論文閲覧者からお金を頂くシステム) しかし、昨今はオープンアクセスジャーナル(論文閲覧者は無料)が出てきたこともあり、その代わりに論文投稿者が費用を出すモデルができてきました。ただその代わり?採択率は高めだったりする雑誌も多い。

『査読期間が長くなっている』:昨今は論文投稿者も増えてきていて、その分査読(掲載前に論文を吟味する)期間が長くなってきているとも聞きます。ただ、査読者(査読をしてくれる研究者)は完全にボランティアです。法医学で言うと、普段の解剖や自身の研究の合間にこの査読をしてくれるわけです。なので多少時間がかかるのも仕方がない気もしてしまいますね...。まただからこそ、論文投稿者は「力試しに!」なんて気軽な気持ちではなく、しっかりと最高の論文を作り上げて投稿すべきだと私は思いますね。



最後にチラッと書きましたが、、、

論文を投稿する(我々)も大変です。しかも不採択も全然あります。

しかし、その論文を受け付け査読する編集者や査読者、そして雑誌社、読者まで、全ての人に支えられていることに感謝しなければなりませんよね。


それをしっかり心に留めた上で...皆さんも素晴らしい論文を書き、是非一緒に後世に名前を残していきましょう!笑