法医学者のやりがい

臨床医と比べると、イメージしにくいのが『法医学者のやりがい』です。

確かに臨床医のように「人の命を救って感謝される」ということはありません。

一般の方からすると「法医学者にやりがいなんてあるのか?」と思われてしまうのも仕方のないことかも知れませんね。


しかし、実際のところ、そのように「法医学者はやりがいがない」ことはありません!

今回は実際に法医学者として働いている私が「法医学にやりがいについて」について書いていきます。



"法医学者のやりがい"はパッと以下が思いつきます。

・遺族に感謝される
・ご遺体の最期を見届けられる
・真実をとことん突き詰められる
・いろんな経験ができる
・臨床医とも連携できる
・責任感がある


ひとつずつ詳しくみていきましょう。


『遺族からの感謝』

個人的には、(頻度は高くないですが)実際これが1番大きいです。

通常解剖後、執刀した法医学医は直接ご遺族へ解剖結果をご説明します。

「○○の理由で亡くなったようです。」
「●●が影響しているかも知れません。」

等々、解剖から分かったことをご遺族にお伝えします。


もちろんこの説明を聞いて涙するご遺族も多くいらっしゃいます。

しかし、同じ事実であっても、執刀医の伝え方によって遺族の受け止め方は大きく変わると私は思っています。

そうやって上手に事実をお伝えできた時は、それを受け止めた遺族が前向きになれることもあるんです。

漠然として伝えにくいですが、この『執刀医の解剖結果説明を通して遺族が前向きになり感謝されることもある』というのが私が最大のやりがいと感じていることです。

以前、解剖後に遺族から「おかげさまですっきりしました」と、電話で改めて感謝のお言葉を頂いたことがありました。

その時は本当に「真面目に法医学者をやってきて良かったな」と思いましたね。


確かに毎日のように感謝されていた臨床医の頃のように頻度が高いわけではありません。

それでも自分自身で選んだ"法医学"という道で、こうやってまた感謝されるのはやはり嬉しいですし、そこにやりがいを強く感じますね!



『ご遺体の最期を見届ける』

これも私にとっては"感謝"とはまた違ったやりがいです。

ご遺体の中には、遺族のいないご遺体もいらっしゃいます。

最期を孤独の中で亡くなられたご遺体。

その状況が必ずしもご本人にとって悲しいことだったのかは分かりませんが、そういったご遺体の"最後の最期"として、我々法医学者が検案・解剖を通して関わり「供養している(つもり)」なのは、自己満足ながらもやりがいです。

【法医学は人が受ける最後の医療である】とよく言われますが、まさにそこにやりがいを感じますね。



『真実を追求できる』

これは法医学者にとってむしろ"義務"でもあります。

法医学者に当然嘘や偽りは許されません。

そして、"不明"というのも極力減らさなければならないんです。


"不明"と言っても2種類あります。

不明①:何も行動していないから分からない
不明②:真実を見つけようと行動したが結局分からない

どちらも同じ"不明"と表現されますが、この差はとても大きいです。

このうち、法医学者に許されないのは①の方です。

つまり「分からない」こと自体が駄目なのではなく『真実を見つけようと行動すること』が欠けているのが駄目なんですよね。


法医学者は職業として真実を追究できますし、それが義務でもあります。

「病気が治れば(原因はどうであれ)OK」ではなく、それが真実かどうか?を追究することが法医学者には求められます。

そして真実を見つけられた時には強い手応えを感じます。

良くも悪くも『自分自身に嘘をつけないこと』これも法医学者のやりがいと言えるでしょう。



『様々な経験』

法医学は多岐に渡る分野を包含しています。

様々な知識が求められると同時に、様々な知識を得ることができます。

これは知的好奇心の強い方にはもってこいの"やりがい"でしょう。

近年は法医学でも専門化(サブスペシャリティ)な傾向がありますから、今後はスペシャリスト指向が強まっていくのかも知れませんけどね。


また別の意味での"経験"として、、、法医学者は様々なご遺体に出会います。

こういった出会いは、私にとっては「自分自身の人生を改めて見つめ直す教訓」になっていますかね。

「この経験を果たして何に活かすのか?」はその法医学者次第だと思います。(人によっては本に書き起こしたり?)

断片的ではありますが、人様の生き様を垣間見せていただけるのも法医学者の"やりがい?"なのかも知れません。



『臨床医との連携』

これは私自身はまだまだなのですが、その可能性は大いに秘めています。

私自身も臨床医の先生方と小さな勉強会を開いています。

そこで臨床医としての意見を聞き、法医学者としての意見を言い...議論を深めるわけです。

そうやって揉まれた意見や知識を臨床医の先生に昇華してもらい、最終的には患者さん達に還元していただく、と。

臨床医の先生方との議論の中で、いろいろと勉強になることを私自身が得られたり、逆に「勉強になりました」と臨床医の先生から言われるのは大変充実感がありますし、これは"やりがい"ですね。



『責任感』

これはある意味で「法医学者としてのプレッシャー」でもあります。

"真実"云々のところの話にも繋がりますが、法医学者は無責任ではいけませんからね。

自分が言ったり書いたりしたことに関しては全て責任を持たなければなりません。

時には出廷し法的に発言を求められることもあります。

しかし、だからこその"やりがい"を感じますし、この"やりがい"は法医学者以外では得られないと思います。



以上、6つの"やりがい"を書いてみました。

この"やりがい"は人によってそれぞれだと思いますし、全て書き切れませんが、私自身も実際もっとたくさんの"やりがい"を感じています。


ただここまで書いてきて何ですが、こういった"やりがい"は他人から教えてもらうものでは決してありません。

人によっては私の挙げてきた"やりがい"を"やりがい"と感じない人も当然いるでしょう。

臨床医をやっていても"やりがい"を全く感じていない人もいるはずです。

"やりがい"というのはとても主観的なものなのです。


少なくとも私自身は、臨床医の頃に負けないくらい法医学者にやりがいを強く感じています。

「何が"やりがい"か?」というのは人それぞれですが、

『私は今現在やりがいを感じながら法医学をやっている』

これだけは紛れもない事実として皆さんに胸を張って言えますよ。