"法医学"や"法医学者"という言葉の定義は様々ありますが、私が自身を説明する際に言うセリフはいつも決まっています。
『私は死因を究明する人です。』
解剖する人でも、事件を解決する人でもありません。
私自身は法医学者は死因究明のための職業だと思ってやっています。
今回は"死因究明の意義"について考えていきます。
なぜ死因究明が必要なのか?
答えは「必要とする人がいるから」と言えます。
一見答えになっていませんが、私は自身はむしろ『死因究明の意義は人それぞれでいい』と思っています。
人によっては、単純に「身内の死因が気になる」という人もいるでしょう。
中には「医療ミスがなかったか?」というのを知りたくて死因にまつわる真実を求める人もいると思います。
遺族だけではなく、立場が違えば当然その意義も変わってきます。
・事件の真相を知りたい → 警察関係者
・国民全体の死因の傾向を知りたい → 公衆衛生学者
・治療効果を判定したい → 病理医・臨床医
・保険請求の適否が知りたい → 保険会社
これら全てに言えるのが「死因がはっきりしなければどうにもならない」という点です。
そして、その"死因"というものは『究明しよう』と思わなければ知ることはできません。
ここに法医学者・法医学としての意義があると私は思っています。
その判明した"死因"をどう捉えるか?は残された人それぞれでいいのです。
死因というのは、時間が経ってしまうと究明するのがなかなか困難です。
後で「死因を知りたい」と思っても、"時すでに遅し"です。
だからこそ、知りたい人が「知りたい」と思った時に死因を知ることができるよう、日々粛々と死因を究明するのが法医学者の役目なのだと私は思います。
先に列挙した各意義も重要なテーマばかりですよね。
"死"そのものが重いテーマであるからこそ、それに伴う意義も重いものばかりです。
臨床医学も"死"を避けるために進歩しているわけであって、
そんなそもそもの"死"にまつわる情報は、いつでもアクセスできるようにあるべきだ
と私は日々思いながら働いています。