『ある行旅死亡人の物語』レビュー

2022年11月29日発売 [1600円+税] 毎日新聞出版 (出版社URL)

『ある行旅死亡人の物語』四六判 全216頁 (著者:武田 惇志、伊藤 亜衣)

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現金3400万円を残して孤独した身元不明の女性、
あなたは一体誰ですか?

はじまりは、たった数行の死亡記事だった。警察も探偵もたどり着けなかった真実へ――。
「名もなき人」の半生を追った、記者たちの執念のルポルタージュ。ウェブ配信後たちまち1200万PVを獲得した話題の記事がついに書籍化!

2020年4月。兵庫県尼崎市のとあるアパートで、女性が孤独死した。
現金3400万円、星形マークのペンダント、数十枚の写真、珍しい姓を刻んだ印鑑......。記者二人が、残されたわずかな手がかりをもとに、身元調査に乗り出す。舞台は尼崎から広島へ。たどり着いた地で記者たちが見つけた「千津子さん」の真実とは?「行旅死亡人」が本当の名前と半生を取り戻すまでを描いた圧倒的ノンフィクション。



行旅死亡人※として官報に載った女性の半生を現役の記者が綴ったノンフィクション作品です。
※行旅死亡人:行旅中死亡し引取者なき者" もしくは "住所、居所若しくは氏名知れずかつ引取者なき死亡人"のこと。


上記のあらすじにある通り、元となった記事はウェブニュースとして配信されています。

記事前編:https://nordot.app/861908753767972864
記事後編:https://nordot.app/861917205323988992

※本作品はこれらに加筆・再構成したものです。


ほんの一見では「人知れず亡くなった女性の半生」という"結果"に目がいきます。

しかし、読み込んでいくと、その女性の半生を知ろうと悪戦苦闘する2人の記者の努力や、そこに協力してくれた方々の優しさといった、女性の半生を知るまでの"過程"にスポットライトが当てられた作品であることに気付きます。

実際のところ、"この女性の人生"という意味では、本の最後まで読み終えても、正直分からない点が多々残っています。

それでも、微かな情報から糸口を見つけ、その先でいろいろな人の繋がりを辿って情報を掴んでいく様は、まさに現役のジャーナリストだからこそできた行動だったのでしょう。



一方で、ネットの評判を見ると「故人の情報をさらけ出すなんて!」といっった批判も現実としてあるようです。

確かに「死者のプライバシーは保護されない」という考え方があるからか、本や記事には女性の個人情報はもちろん、生前の顔写真までもが掲載されています。

これを良く思わない人が世の中にいることは私にも理解できます。

著者としては、こういった類いの批判が出ることは重々承知の上で書いているとは思いますけどね。



冒頭にあるように、"行旅死亡人"とは、

・行旅中死亡し引取者なき者
・住所、居所若しくは氏名知れずかつ引取者なき死亡人

を指し、特に現代の日本では後者のパターンが殆どだと思います。

今回の事例では最終的に身元が特定されたため、従って厳密に言えば、この女性は"行旅死亡人"の範疇からは外れる気はします。

その後"引取者"が現れたかどうかまでは不明ですが...。

この辺りは別記事で説明しています。→ (参考記事:「行旅死亡人」)



ちなみに言うと、この本に関しては"法医学"に関する記載は殆ど、というか全くありません。


我々法医学者は、日頃死体検案書を記載・発行します。

確かにその中には"行旅死亡人"として扱われるケースがあります。

とは言え、法医学者が関与するのは"死体検案書の交付"までで、その後の手続きは役所が担っていますからね。

ですので、法医学者にとっても"行旅死亡人"は、そこまで馴染みのあるテーマではないのです。


私も死体検案書を記載する際は、できる限り個人を特定できるような情報を書くように心がけてはいます。

しかし、誤った情報は特定を逆に損ねてしまうため、確証のない情報は書きにくいのです。

そうすると、実際に行旅死亡人に関して官報に載るのは、せいぜい、

・(推定)年齢
・(推定)性別
・(推定)身長
・服装
・治療痕
・発見場所
・簡単な発見状況

などに限られてしまいます。(※法律上は『状況相貌遺留物件その他本人の認識に必要なる事項』と書かれている)

法医学者として「こんな情報だけで果たして名乗り出られる遺族はいるのか...?」としばしば感じます。

この本を読んで、警察はもちろんのこと、現役の記者がここまでしてやっと特定できることに、更なる虚無感を禁じ得ません。

まして、本にある女性はかなり特徴的なケースだったわけですから。


いっぱしの法医学者として思うのは「ひとりでも多くの行旅死亡人が安らかに眠っていただきたい」ただそれだけです。



以上、今回は『ある行旅死亡人の物語』(著者:武田 惇志、伊藤 亜衣)をレビューしました。

文字の大きさや文量も丁度よく、大変読みやすい本でした。

どんな内容か気になるなら、前述のニュース記事を試しに読んでみてはいかがでしょうか。


"行旅死亡人"というワードを全く知らない人も多いと思います。

この本を読んで、世の中にはそうやった制度や人知れず亡くなる方がいるということを知り、思い巡らすのも良いかも知れませんね。