今回はWikipediaに載っている法医学的に詳細に記載された事件を取り上げたいと思います。
・小笛事件(1926)
・下山事件(1949)
・弘前大教授夫人殺し事件(1949)
・別府3億円保険金殺人事件(1974)
・遠藤事件(1975)
・柏の少女殺し事件(1981)
・みどり荘事件(1981)
・山下事件(1984)
・足利事件(1990)
以上の9件を事件発生の年代順にみていきます。
【小笛事件】(ウィキリンク)
京都で40代の女性が、自身の娘1人と友人の娘2人を巻き込んで自殺した事件です。
当該女性の首の索痕の所見から『他殺である』という意見も出て、ある男性が嫌疑にかけられます。
最終的に8名の法医学者による鑑定が出て"自他殺"(自殺か?他殺か?)の議論となりました。
結論は「自殺とも他殺とも判断しがたい」として、被告人は無罪となっています。
大正時代の事件ですが、頚部所見の解釈という意味では、今現代に起きたとして同様に議論となると思いますね。
科学技術が進歩し、今ならDNA観点や指紋から裁判上は攻められるのでしょうが、議論となった頚部所見においては近代でも革新的は進歩があったとは言えません。
「法医学における窒息死の難しさ」を如実に表した記述だと思います。
【下山事件】(ウィキリンク)
旧国鉄で起きた未解決事件です。
当時の国鉄総裁である下山氏が勤務中に行方不明になり、翌日列車による轢死体として発見されました。
法医学的に議論となったのは、
「轢死によって亡くなったのか?」(自殺説)
「死体を轢死させたのか?」(自殺偽装、他殺説)
という点でした。
具体的には"生活反応"等の解釈で法医学者の間でも大きな議論となっています。(参考記事:「生活反応」)
「要人の死」かつ「未解決事件」ということもあり、現代でも色々と話題に上がります。
【弘前大教授夫人殺し事件】(ウィキリンク)
当時の弘前大学教授の夫人が殺害された事件です。
近隣の男性が被疑者として挙げられます。
男性は無実を訴えますが、血痕鑑定や精神鑑定により有罪となります。
しかし、後年(時効成立後)になり真犯人が現れます。
再審が決定し、再度血痕鑑定も行われ、当時の鑑定の矛盾点等が改めて洗い出されて、最終的に男性は無罪となります。
ちなみに、男性は冤罪によって投獄されたため、無罪獲得後に国家賠償請求訴訟を起こしましたが、こちらは敗訴の結果となっています。
これは「血痕鑑定を重視しすぎたことによる冤罪」とも言われます。
血痕鑑定の結果だけでなく、警察の諸捜査による間接証拠も重要ということですね。
DNA鑑定にも言えることですが、こういう検査は結果自体は割と白黒はっきり出ます。
その手法や検体の状況・状態、その他もろもろを加味した上でその結果を判断・解釈するのが鑑定です。
ですので、そこには必ず主観的要素は入らざるを得ず、今回のように微妙なものでは意見が別れることも多分にあります。
ここが法医鑑定の難しさです。
検査の結果だけに目をとられるのではなく、それ以外のところにもきちんと目を配る必要があります。
言わずもがな、でっち上げるなんて論外です。
【別府3億円保険金殺人事件】(ウィキリンク)
親子4人が乗った車が海に落ち、唯一生き残った夫が犯人として疑われた事件です。
死刑→死刑→と上告審(最高裁)まで争われましたが、途中で被告人が病気で亡くなり、最終的に控訴棄却となりました。
ここで議論になったのは
「妻が運転していたのか?」(事故)
「夫が運転していたのか?」(殺人)
でした。
法医学的には、「身体に残されたキズが"ハンドル損傷"や"ダッシュボード損傷"かどうかの判断」や"フロントガラス損傷"といったキズの解釈が議論となっています。
実際にみていない事故の状況をキズだけから判断することの難しさを物語っています。
ちなみに死亡者に保険金がかけられていたりしたことも、センセーショナルな報道になった原因のようです。
【遠藤事件】(ウィキリンク)
新潟県でひき逃げ事故が発生します。
被害者は死亡し、捜査を経て当時トラックを運転していた男性が被疑者として浮上します。
男性が運転していたトラックからは被害者の血痕や毛髪が発見され、男性自身もひき逃げを自供し逮捕されます。
ところが、一審で男性は容疑を否認します。
弁護側は自白調書の矛盾点やトラックの付着した物証についても異論を唱えました。
特にトラックのタイヤに付着していた血痕については最大の争点となり、鑑識以外による再鑑定も行われました。
再鑑定では、当初人血と判断されていた血痕は「人血ではない」とされ、対立します。
そのため検察側は再度鑑定人を申請し、再々鑑定を実施します。
再々鑑定では結局「人血である」との結果が出されました。
第一審では再々鑑定の結果が採用され、その他の証拠も踏まえて男性には有罪判決が下されます。
控訴審でも引き続き有罪となりましたが、上告審では、血痕鑑定の矛盾点(資料が時間経過していたり微量である点など)が再確認され、破棄自判による逆転無罪で集結しています。
なお国家賠償請求訴訟については男性が敗訴しています。
この時代はまだDNA鑑定は導入されておらず、そうした中で血痕が「人血かどうか?」等で鑑定結果が対立しました。
法医学で扱う試料は微量かつ保存状態も悪いという欠点が大いに影響した事案と言えるでしょう。
こういった経験からも、DNA鑑定が導入された現代ではDNA鑑定の結果をかなり重要視してしまいがちですが、後述の事件のように、そうやって重視し過ぎることへの危険性についても十分理解しておく必要があると言えます。
【柏の少女殺し事件】(ウィキリンク)
千葉県の小学校校庭である女生徒が刺殺されました。
後に近くに住む少年が被疑者として浮かび上がり、事情聴取で犯行を自白したことから逮捕されました。
当初は犯行を認めていたものの、約1年後に少年は自白を撤回し、冤罪を訴えます。
凶器とされていたナイフについても、少年が供述していた同型ナイフが供述通り自宅から発見され、自白にも矛盾点が多数あることが改めて指摘されます。
しかし結局のところ、法律上はAの冤罪は晴らせないまま審理は終了しました。
この事件は法(律)学における"保護観察処分取消"という観点でその道の人には有名なようですね。
・創傷鑑定 (どの順に刺創が出来たか?ナイフの向きは?など)
・指紋鑑定 (12箇所の特徴点の一致で"同一指紋"と判断するが、本件では5箇所だった)
等が法医学上は特筆すべき点だと思います。
こういった結果と被疑者の供述に矛盾点がないか?を照らし合わせて裁判に向けた資料が作成されていきます。
そして、もし矛盾点があれば「事実に間違いがあるのか?」または「鑑定が間違っているか?」を考えなければならず、鑑定する側の法医学者は可能な限りその矛盾点に対して科学的・医学的に答えられる必要があります。
【みどり荘事件】(ウィキリンク)
大分県のあるアパートで女子短大生が殺害されました。
現場の血液からB型の犯人が疑われ、隣室の男性が逮捕されます。
裁判の途中で当初の自白を撤回したものの、第一審では初めの自白と毛髪鑑定の結果から無期懲役の有罪判決となりました。
弁護側から毛髪鑑定は科学的でないとの批判もあり、控訴審では国内初の裁判所の職権によるDNA鑑定が行われました。
DNA鑑定では現場の毛髪は逮捕された男性のものであるという結果でしたが、その手法・解釈の問題点や毛髪の長さ等からあり得ないことが指摘され、最終的に男性は無罪となりました。
これは初めてDNA鑑定が裁判で適用されて事件として有名です。
ACTP2[GAAAリピート]というマイクロサテライトを用いたDNA鑑定でした。(参考記事:「DNA鑑定」)
しかし、この国内初のDNA鑑定には多くの問題があり、結局このDNA鑑定による証明は決して成功とは言えませんでした。
この状況から一部の法律家からは「裁判は実験場ではない」との批判も出て、まだ確立していないDNA鑑定へのバッシングも強かったようです。
後述の"足利事件"も時期尚早なDNA鑑定の裁判導入が争点になっています。
【山下事件】(ウィキリンク)
これはダイレクトに法医鑑定における死因が問われた事件です。
自宅の布団の中で亡くなっている妻を夫が朝発見しました。
変死体として行政解剖が行われ、溢血点・臓器うっ血・心臓血液の流動性の3つの所見があったため、監察医は頚部圧迫による窒息(他殺)と判断します。
そして、夫が被疑者として逮捕されました。
ところが頚部圧迫という判断にも関わらず「頚部表面には圧迫した痕はなく、頸部の筋肉内に出血あり。」という所見であったため、その解釈について法医学者の間でも大きく議論が巻き起こることになりました。
当初の監察医の証言も途中で変わったり、別の法医学者による複数の鑑定が提出されたりして、裁判も複雑になっていきました、
最終的には「他殺(頚部圧迫による)と判断するには合理的な疑いがある」として無罪判決となっています。
これは現代にも通ずる難問です。
1番最初に挙げたように"窒息死"というのは大変難しいです。
死亡者は病気の関係でワーファリンも飲んでいたりしており、それも所見の複雑化に繋がっています。
やはりどんな解剖(犯罪性なしとされた行政解剖)であっても、詳細に所見をとり、それを総合的に判断することが求められます。
誰が見ても明らかな状況というのは、たとえ素人が見ても死因を判断するのは難しくありません。
しかし、微妙な状況では、この事件のように、これを専門とする法医学医でさえも各人で判断が分かれるということです。。
【足利事件】(ウィキリンク)
これはかなり有名な冤罪事件ですね。
女児がパチンコ店の駐車場で行方不明となり、翌日近くの川で遺体となって発見事件です。
捜査の中で数人の犯人らしき人物が浮かび上がり、その中で女児の下着に残されていたDNAと一致した男性が逮捕されました。
その後、警察・検察からの自白強要、当時はDNA鑑定も導入さればかりだったことなどを理由として再審請求し、逮捕から17年後に再度DNA鑑定を行うことが決定されます。
再DNA鑑定の結果、服役していた男性とは違うDNAという結果となり、男性は無罪・釈放となります。
ちなみに真犯人不明の未解決事件で、すでに時効が成立しています。
世間的には警察機関による自白強要が注目されましたが、法医学としては、まだ導入されたばかりで(今と比較して)精度の低いDNA鑑定であったことが大きな問題でした。(参考記事:「DNA鑑定」)
類似の事件として今回は挙げていませんが"飯塚事件"というのもあります。(参考wiki:「飯塚事件」)
当時のDNA鑑定の(他人との)偶然一致率は1000人に1人程度と言われ、今考えるとそのような数字をもってして犯人とするのは厳しいですよね...。(もちろん根拠はそれだけではなかったはずですが)
近年捜査におけるDNA鑑定の一致率を、世界人口を遙かに凌ぐ『565京人に1人』という天文学的数字にまで上げたのも、こういった事件があったからだと私は思っています。
以上、簡単ですが法医学に関係した事件を取り上げました。
裁判において、特に証拠が乏しい時は、種々の法医鑑定は裁判の結果を左右する大きな証拠となり得ます。
だからこそ間違いはあってはなりませんし、結果だけでなくその手法や解釈にも十分注意しなければなりません。
特に"山下事件"なんて、同じ法医学者として「自分にもいつ同じような死因判断が難しい症例に出会うのか...?」と、ふとそんな気持ちにさせられます。
もちろんこれらは国内でも極めて難しい判断を迫られた事例なわけですが、それがいつ何時自分の元にやってくるか?は誰にも分かりませんから。
いつ来ても大丈夫なように、丁寧な法医鑑定を心掛けるしかないですね。
最後に余談ですが...。
法医学において死因を究明する際、2通りの考え方があります。
・ただ解剖所見のみから死因を究明する(他の情報は一切入れない)
・他の情報も加味しながら解剖所見から死因を究明する
法医学者の間では当然に前者がよしとされます。
その上で、他の情報との矛盾点を考えていく、と。
しかし、解剖所見のみから死因を究明するのは困難な場合も多いのが実際です...。
特に今回挙げたような"圧迫痕の乏しい窒息死"では、ご遺体の状況が無くご遺体の解剖所見で判断すれば"心臓死"となっていたかも知れません。
どうしても必要最低限ある程度の遺体情報は必要と私は思ってしまいます。
だからといって、それに引っ張られて死因が変わってしまうなんてことはあってはなりません。
法医学者はそういう板挟みにも苦しみながら日々がんばっています。