生活反応・生体反応

今回は法医学で最も重要な概念のひとつと言える"生活反応"(生体反応)について書きたいと思います。

この"生活反応"は、その損傷が生前に出来たものか?死後に出来たものか?を判断する上で必須となる考え方です。


『生前か?死後か?』によって、

殺人罪となるのか?
死体損壊罪になるのか?

も変わってくるため、社会的にも大変重要となります。



生活反応:『生体で認められる反応』のこと。裏を返せば『死体では認められない反応』のことです。

特に法医学では『死後にもその痕跡が残るもの』というを指します。

つまりこの生活反応の存在は「受傷した時点では生きていたこと」を示しています。

対義語は"死体現象"です。


それでは詳しくみていきましょう。



そもそもなぜ「受傷が生前か死後か」というのが重要なのでしょうか?


例えば、一見轢き逃げと思われていても、もしかしたら亡くなっていた方を轢いた可能性もありますよね。

また複数の犯人による殺人においても「誰の攻撃が致命傷となったのか?」「どの順番で攻撃したのか?」は各被疑者の罪名を決める上で重要です。

その他にも

・亡くなった後に放火したのか?
・亡くなった後に水に沈めたのか?
・亡くなった後に交通事故を起こしたのか?

これらは社会的にも重要なことと思います。


それら疑問に専門家として応えるのが我々法医学者です。



先ほども書いたように、"生活反応"は『生体で認められる反応、その中でも特に死後も残存するもの』と言えます。

この生活反応があることによって以下のことがわかるかも知れません。

・受傷時は生存していたことが証明できる
・受傷時期を推定できる


例えば、"擦過傷"、厳密にはそこに現れる"出血"が生活反応の典型例です。

sakkashou.jpg
(※医師国家試験 109回 H問題 16番より)


画像の擦過傷を例に、具体的に考えてみましょう。


まず死後のご遺体にこれを見付けると『この擦過傷が出来た時には生存していたこと』がわかります。

赤く出血しているので、つまり受傷してから心臓が動いて血液が循環していたと考えられるからです。

死後に同じような打撃が加わっても出血は起こらず、受傷部位は黄茶色に乾燥していくだけです。


続いて受傷時期ですが、この擦過傷では推定はなかなか難しいです...。

ただ乾燥もしておらずまだかさぶた(痂皮)も出来てないので、(当然)新しいキズだということは分かりますね。

皮下出血(アザ)があればその色調から逆算して受傷時期を推定したりできることもあります。


ごくごく簡単ではありますが、このような感じでひとつずつ所見を読み解いていくわけですね。



以前 [死とは何か?] という記事で書きましたが、死というものを"3徴候死"で捉えると、この生活反応は「脳・心臓・肺がそれぞれ機能している(生きている)中で起きる」とも言えます。

脳機能の停止は特殊な状態なので、現実的には『"生活反応"とは血液循環・呼吸に伴った反応が多い』です。


先ほど挙げた"キズの出血"以外にも生活反応と呼ばれる現象は多くあります。

●局所的生活反応:受傷部位もしくはその近くに局所的に形成されるもの。

・出血 → 死後の受傷は出血しない
・痂皮 → 死後の受傷ではかさぶたは出来ない
・炎症性変化 → 死後の受傷では炎症性細胞が浸潤してこない @顕微鏡
・創の哆開[しかい] → 死後にナイフで刺しても傷は開かない (参考記事:刺創)
・熱傷 [1−2度] → 死後のやけどは発赤や水疱が出来ない (参考記事:火傷死)


●全身的生活反応:受傷部位とは離れた箇所や全身にで形成されるもの。

・貧血 → 出血下の生前の血液循環によって貧血が進行する
・うっ血 → 生前の血液循環によって血液がうっ滞する
・塞栓 → 生前の血液循環によって血管が塞栓する
・感染 → 生前の血液循環によって菌血症が起こる
・気道内異物吸引 → 生前の呼吸運動によって異物が気管内に入る
・(一酸化中毒における)血中CO-Hb濃度上昇 → 生前の呼吸運動・血液循環によって血中のCO-Hbが上昇する (参考記事:CO中毒)
・(溺死における)プランクトン  → 生前の血液循環によって全身にプランクトンが回る (参考記事:プランクトン検査)

などが挙げられます。


受傷部位に留まるか否か?によって、上記の通り"局所的生活反応"と"全身的生活反応"に分けられることはあります。

特に後者は先ほど書いた『血液循環・呼吸に伴った反応』が多いです。


ただし血液循環や呼吸がかなり微弱な"死戦期"での受傷では生活反応がはっきりしないこともあります。

また"即死"のような状態では、生前の受傷があっても生活反応が出る間もなく亡くなってしまうことではっきり出ていないこともしばしば経験されます。

逆に、人工的に血液循環・呼吸を行うような蘇生行為が実施された場合では、本来死後なら出ない生活反応が弱く出ていることもあります。

こうやって様々な条件が絡んでいることから「絶対的なものではない」というのも生活反応の解釈が難しい原因です...。



以上、生活反応について取り上げました。

今回挙げた生活反応は本当にごくごく一例に過ぎません。

ご遺体の数だけ所見は存在し、そのご遺体毎に存在する生活反応も様々です。

しかし、その所見を取ることが法医学では重要だったりします。

そして、その所見の解釈の責任を取ることことこそが法医学者の役目なのでしょう。