法医分子病理学 (遺伝子検査・遺伝子診断)

DNAや遺伝子は、法医学でも広く利用されています。

使用目的は主に下記の2つです。

・個人特定
・死因究明

前者はいわゆる"DNA鑑定"のことで、一般的にもイメージしやすい分野だと思います。(参考記事「DNA鑑定 」)


今回ご紹介するのは、後者の『死因究明のための遺伝子検査・遺伝子診断』です。

法医学ではこの学問領域を"法医分子病理学"と呼んでいます。

早速みていきましょう。



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【法医分子病理学】(forensic molecular pathology):死後組織を分子レベル・遺伝子レベルまで掘り下げることで死因を究明していく学問。

元々病理学において、"分子病理学"(=臓器や組織を分子レベル・遺伝子レベルまで掘り下げることで病気を診断していく学問)が存在していて、それを法医学に転用した形ですね。


まず簡単に"遺伝子"について説明しますと、、、

"遺伝子"とは『DNA配列によって表現された遺伝情報、主にタンパク質に関する情報』を指します。

"タンパク質"はヒトの体の材料となる重要な物質です。

従って、遺伝子の部位によっては、その配列(≒型)に異常があると重大な病気を引き起こす可能性が高くなってきます。

それを利用して「死因の診断に用いよう」と試みるのです。



身近なところで言えば、近年ちらほらと見かけるようになってきた民間の"遺伝子検査"です。

「頬の内側を擦った綿棒や唾液を郵送すれば、後日検査所から遺伝子検査の結果が返ってくる」といった類いのものです。

各社にいろいろな遺伝子リストが載っており、それらのタイプが何型だったらどうであるか?といった風に"自分を知る"わけですね。


例えば、"血液型"も分子レベルで見ると、遺伝子型の違いによって変わっています。

"血液型"以外にも、"瞳や髪の色の違い"から始まり、

・お酒に酔いやすい遺伝子型
・高血圧になりやすい遺伝子型
・癌になりやすい遺伝子型
・不整脈を起こしやすい遺伝子型

...など様々な"体質"の遺伝子型の判定ができるようになってきています。


それをどうやって法医学・死因究明の現場で利用するのか?

中でもよく知られているのが、先に挙げた"不整脈"や"てんかん"を起こしやすい遺伝子型です。


"不整脈"や"てんかん"という疾患は、心臓や脳の"異常な電気活動"によって引き起こされる病気です。

こういった"異常な電気活動"を起因とした病気で亡くなった場合は、

「解剖を行っても形態的(肉眼的)な変化ははっきりしない」
「身体に("不整脈"や"てんかん"などを起こしたという)所見・証拠が残っていない」

というのが殆どなのです。

ですので、"除外診断"といって、他の考え得る疾患を順番に否定していくことで、残った"不整脈"や"てんかん"を死因と考えざるを得ません。


ここで法医分子病理学の技術を用いて遺伝子検査を行います。

DNAは死後も比較的安定しているので、法医実務にも適していると言えます。

遺伝子検査を行って、もしそのご遺体が「不整脈を起こしやすい遺伝子型」だったり「てんかんを起こしやすい遺伝子型」であった場合、

『"不整脈"や"てんかん"を起こした可能性がより高い』と言えるわけですね。


しかし、ここで絶対に注意しなければならないことがあります。

それが「『病気を起こしやすい』とは言えるが、『病気を起こした(=その病気で亡くなった)』と確実に言えるわけではない」ということです。

ある疾患を起こしやすいという遺伝子型を持つ人が、すべて皆その疾患を発症するわけではありませんよね。

まして「その疾患が本当に"死因"であるか?」に関しては、より一層注意して考える必要があります。

やはり解剖結果等を含めた他の情報も十分検討しなければなりません。

そうやって、遺伝子検査の事前確率を上げる必要があるのです。

間違ってもこの遺伝子検査の結果だけを以て「死因は○○である」と断定してはいけないのです。



前述の"民間会社による遺伝子検査"でも同様のことが言えます。

例えば、ある領域の遺伝子配列を検査したところ、"高血圧になりやすい遺伝子型"だったとします。

しかし、その遺伝子型の詳細を調べると、"なりやすい型"の人は"そうでない型"の人と比べて、仮に「血圧がたった1mmHg高いだけ」というデータだったらどうでしょうか?

確かに多くの人のデータを取ると、

「"なりやすい型"は"そうでない型"よりも血圧は高い(傾向にある)」

とは言えますが、果たしてそれはどこまで実生活に影響があるのでしょう。


またこの"なりやすい"という表現もくせ者で、

"なりやすい"とは、例えば『何倍発症リスクが上がるのか?』という観点も重要になってきます。

もちろん"遺伝病"のように「その遺伝子型を持っていれば疾患を発症する確率が比較的高い」という遺伝子型も確かに存在します。

しかし、もしある遺伝子型における"なりやすい"というのが、

「"なりやすい型"の人は"そうでない型"よりも1.01倍だけ発症しやすい」

という意味であれば「そこまで気にし過ぎるものでもない」と考える人もいるでしょう。


このように、その遺伝子型の意義や結果の捉え方をきちんと理解しておく必要があります。

知らないまま遺伝子検査を受け、必要以上に余計な心配事が増えたり、生活の幅が狭くなってしまえば、検査を受けるメリットがありませんからね。



以上、今回は"法医分子病理学"(と遺伝子検査・遺伝子診断)について書いてきました。

いろいろと小難しいことを書きましたが、「目で見えない変化を明らかにする」という意味で、"法医分子病理学"は法医実でもかなり有用であることは間違いありません。


今回は省きましたが、こういった遺伝子分野の中には、

・"遺伝子"でない(≒タンパク質以外に関する)遺伝情報
・たった1つのDNAが変化しただけの遺伝子変異
・まだ意義の分かっていない遺伝子変異

などの様々のテーマがあり、かなり奥深いです。

それでいて、まだまだ分からない謎だらけです。

今後いろんな知見が出てきて、法医学でも大いに発展していくことを私自身も期待しています。