今回は法医学でよく耳にする"表皮剥脱"についてです。
よく"擦過傷"と同義に捉えられがちですが、厳密にはそうではありません。
あと"挫創"とも違います。(参考記事:挫創とは)(創傷① ② ③ ④)
これらの違いについて理解できるようになると良いかと思います。
まずは定義からですね。
表皮剥脱:表皮が剥がれた状態のこと。鈍的外傷の一種。
体表は深くなるにつれて【表皮→真皮→皮下組織】となっていきます。
"表皮剥脱"はこのうち、表皮が剥脱した状態を指します。
ただ定義上は"表皮"となっていますが、実際には真皮の表層も剥脱していることが多いです。
と言いますのも、本来は表皮には血管がなく、『厳密な表皮剥脱では出血しない』んです。
しかし、我々がよく"表皮剥脱"と呼ぶものには出血しているものも頻繁にあります。
本来の(厳密な)表皮剥脱であれば、血液が固まった赤いかさぶたではなく「滲出液による黄色いかさぶた」ができるはずですので。
さて"表皮剥脱"と"擦過傷"の違いについてです。
[生活反応]の記事で出した画像。
[医師国家試験 109回 H問題 16番より]
このキズは"擦過傷"と言いました。
これは間違っていません。
"擦過傷"であり、"表皮剥脱"でもあります。
先ほどにも書いたように"表皮剥脱"とは「表皮が剥がれた状態」を言いました。
この画像でも表皮は剥脱している様子が分かりますので"表皮剥脱"です。
ただ正直なところ、これだけでは擦過によって出来たものかどうか?は正確には言えませんよね。(99%擦過して出来たとは思いますが...)
問題文を見てみます。
自転車で走行中に転倒し、受診した男性の右膝の写真を別に示す。
まず行うべき処置はどれか。
a. 洗浄
b. 切開排膿
c. 縫合閉鎖
d. 皮膚移植
e. 抗菌薬の経口投与
ちなみに【正答はA.洗浄】です。
この「自転車で走行中に転倒し」という言葉によって、『このキズは"擦過傷"である』ということが自信を持って言えるわけです。
つまり、『擦過傷は"擦過によって出来た"という判断が入ってくる』んですよ。
法医学では、こういった受傷時の状況が分からないことも多々ありますので、安易に成傷機転を含んだ名称を使ってしまうことはリスクが高いと言えます。
"表皮剥脱"には擦過によって出来る以外にも別のタイプがあります。
・引っかき傷
・擦過傷
・摩擦性表皮剥脱
・圧迫性(圧挫性)表皮剥脱
従って、特に所見を記載する際は、本来そういった判断を含む名称は使わない方が良いと言われています。
"擦過傷"と言ってしまうと、他のタイプの成傷機転は否定することになりますからね。
無責任なことは言えません。
『形態学的で客観的な名称を記載した後、主観的な医師の診断として"擦過傷"と判断されるべきである』という論調の本もあるくらいです。
確かにそこの判断こそ、鑑定者である医師としての責任性があるのかなと感じたりもしますね。
続いて、"挫創"との違いです。
"挫創"も同じ鈍的外傷のひとつでした。(鈍的外傷:鋭利な刃物以外によるキズ)
"表皮剥脱"と"挫創"のどちらも鈍い物体によってできるキズです。
"挫創"はあくまで"創"なので、「傷口が開いている」ことが必要です。
"表皮剥脱"は表皮(ないし真皮表層)までの浅いキズで、傷口は開いていません。
ここが大きな違いです。
一般の方にとってはざっくりと「表皮剥脱は軽症、挫創はそれより重症」と思って問題ないと思います。
このように、キズひとつの表現にもきちんとした細かな理屈があるんですね。
"所見をとる"というのは単なる"記録"に過ぎません。
その"記録"に対して医学知識による肉付けを行ったものが"鑑定書"なのです。
"所見を記録する"ことは、ある意味、慣れれば誰でもできることかも知れません。
ただ"鑑定"は誰にでもできることではありません。
なぜなら、責任を取らなくてよい(取れない)からです。
この"鑑定"こそが法医学者としての責任の拠り所であり、専門性が問われる部分なのです。
責任を負うのはストレスですが、我々法医学者の存在意義だと私は思っています。